Public Speech & Teaching by Patrul Rinpoche / Kyoto, 2011
≪ 時の花輪-バルドの教え ≫
○とき:2011年9月17日(土)18日(日)19日(月・祝)
○とき:2011年9月17日(土)18日(日)19日(月・祝)
◇ 9月17(土) 14:00~17:00
講演「世俗と精神性、2つの道をめぐっての対話」
"Dialogue about two paths: worldly and spiritual"
◇ 9月18(日)&19(月・祝)
両日 午前10:00~12:30 午後15:00~17:30
法話「対話:バルド-過去と未来の間-について
"Dialogue about Bardo: time between past and future"
○言語:英語とチベット語
日本語への通訳がいらっしゃいます。
○会場:京都・東山 東福寺塔頭 退耕庵
〒605-0981 京都府京都市東山区本町15丁目793
(JR奈良線・京阪本線「東福寺」下車、徒歩5分)
○参加費:9月17(土) 3000円 9月18(日)19(月・祝) 各3500円
17(土)~19(月・祝) 全日申込の場合は 9000円
※ テキスト代は別途となります。ご希望の方はお申し出願います。
※ 参加費はお布施とさせていただきますので、金額のご相談も承ります。
全日申込で事前振込みをしていただけた場合、テキスト代金を半額とさせていただきます。
テキスト代金は、当日会場でお支払いください。
【振込先】 ゆうちょ銀行 記号番号 12160-76579991 パトゥル・リンポチェを呼ぶ会
※他金融機関からも送金が可能です。
「店名」 二一八 (ニイチハチ) 「店番」 218 「預金種目」 普通預金 「口座番号」 7657999
○申込・問合: chanchupsem@gmail.com tel.080-5321-3795(ヤマダ)
○主催:パトゥルリンポチェ関西講演実行委員会 (代表:川辺 ゆか )
講演「世俗と精神性、2つの道をめぐっての対話」
"Dialogue about two paths: worldly and spiritual"
◇ 9月18(日)&19(月・祝)
両日 午前10:00~12:30 午後15:00~17:30
法話「対話:バルド-過去と未来の間-について
"Dialogue about Bardo: time between past and future"
○言語:英語とチベット語
日本語への通訳がいらっしゃいます。
○会場:京都・東山 東福寺塔頭 退耕庵
〒605-0981 京都府京都市東山区本町15丁目793
(JR奈良線・京阪本線「東福寺」下車、徒歩5分)
○参加費:9月17(土) 3000円 9月18(日)19(月・祝) 各3500円
17(土)~19(月・祝) 全日申込の場合は 9000円
※ テキスト代は別途となります。ご希望の方はお申し出願います。
※ 参加費はお布施とさせていただきますので、金額のご相談も承ります。
全日申込で事前振込みをしていただけた場合、テキスト代金を半額とさせていただきます。
テキスト代金は、当日会場でお支払いください。
【振込先】 ゆうちょ銀行 記号番号 12160-76579991 パトゥル・リンポチェを呼ぶ会
※他金融機関からも送金が可能です。
「店名」 二一八 (ニイチハチ) 「店番」 218 「預金種目」 普通預金 「口座番号」 7657999
○申込・問合: chanchupsem@gmail.com tel.080-5321-3795(ヤマダ)
○主催:パトゥルリンポチェ関西講演実行委員会 (代表:川辺 ゆか )
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いつでも、人と人、人と生き物には、対話が必要です。お互いを知らなければ分かり合うことはなく、傷つけあってしまいます。ですから、私たちには対話が肝心なのです。それが実を結べば、平和、寛ぎ、成功、そして幸福などの多くがもたらされます。では、それはどのようしてもたらされるのでしょうか? 本当の対話を通して、私、あなた、彼ら、肉体あるもの、それらすべての生き物にとって何が必要かを知ることができます。さて、あなたが科学的かどうか、信仰を持っているかどうか、仏教徒かどうかは関係ありません。私たちすべてにとって大切な、『過去と未来のはざま』というテーマが今ここにあります。そして、これを理解し越えていくことは、並大抵ではありません。では、なぜそれが大切なのでしょうか。この過去と未来の《はざま》は、私たちの人生であり、幸せであり、目的ではないでしょうか?もし、過去と未来にあいだがないのなら、どうして私たちが存在しているといえるのでしょう。過去は去っていき未来はまだ来ないのですから、それは無理なことです。もし、過去と未来にあいだがないなら、どうでしょうか!とんでもない!でも、実際にはそんなことはなく、すべてには成り立ちや役わりがちゃんとあります。それでもまだ、《はざま》がどんなものかは簡単につかめません。
私たちは過去と未来のはざまに、様々な苦しみや幸せを経験してきたといえます。が、ただ幸せのみでなく、苦しみもたくさん経験します。どうすれば、この《はざま》に苦しみを生まずにすむでしょう。そうです、私たちは《はざま》について本当の対話をすべきなのです。誕生と死の間、眠りと目覚めの間、行いのはじまりと終わりの間、死の過程の間、死と誕生の間、未来とその先との間に、私たちはどのように幸福を見出すことができるでしょうか。混乱し混迷したままではなく、《はざま》を素晴らしい機会にしなくてはなりません。チベットでは、《はざま》のことを"バルド"と言います。 "バル"は、「~のあいだ」を意味し、"ド"は「時」を意味し、あわせて"バルド"と言います。そのバルドについては、往々にして混乱し理解に欠けるものです。
ですから、どのようにバルドを理解し、どう扱いこなしていくかといった対話が、私たちには必要なのです。
とにかく、ありがとう。9月のコースでお話ししましょう、ありがとう。
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